大明寺は中国仏教界で初めて開放した寺院の一つで、仏教堂宇、文化財古跡、庭園風景及び国際仏教教育などを一体に集まった国家重要な文化財指定史跡であり、国家 AAAA 級観光地でもある。
ここは昔から高僧が輩出している。君王賢臣、詩人文人、そして各国の英才がその名を慕って集まってくる。観光者は美しい風景を楽しみ、祈祷者は願いを願って、どんな人でもここで興を尽くすことができる。
境内に鑑真祈念堂、平山堂、栖霊塔、そして西園などの名勝がある。
鑑真記念堂は大雄宝殿の東側に位置し、鑑真和尚が逝去 1200 周年を記念するために建てられたもので、中国現代の大建築家梁思成が生前最後の作品と言う。建築全体のスタイルは唐の時代の建築様式を参考にし、 1973 年完成された。敷地面積は 700 平米である。 
中国国家総理温家宝は 2007 年 4 月 12 日日本の国会で「友誼と協力のために」という題でスピーチを発表した中、「揚州大明寺鑑真記念堂には石造りの提灯がある。それは日本唐招提寺森本孝順長老より送られ、長老自ら火をつけたものである。日本唐招提寺にあるもう一つの提灯とは対になったのである。その一対の提灯の火は今でも燃えており、遥かながらも呼応していて、消えたことはない。それは日中両国人民の世代の友好は光明たる前途が迎えられることを象徴しているではないか。」と言っていた。この提灯は日中両国世代の友好を象徴する平和の提灯であり、友誼の提灯である。
大明寺の栖霊堂に三粒の舎利を供えている。それは鑑真和尚が日本に渡るときに持っていったものである。当時は舎利 3000 粒を持っていったというが、現在ほとんどは流失してしまった。鑑真和尚が成功に日本に渡った 1250 周年を記念するために、日本政府は貴重なプレゼントとしてこの三粒の舎利を中国に返したのである。それは今中日両国人民の世代の友好使者と証人となっている。
大明寺は千年の歴史を持つ寺院で、揚州の真珠として、遠近でも名声が高い。南朝時代宋の孝武帝の年号「大明」を使って名づけたが、唐になったら、栖霊と呼んできた。そして宋の時代にまた「大明」と復活させた。しかし、清の乾隆帝は「大明」と言う文字を忌み避けるため、「法静寺」という名を賜ったという。 1980 年、鑑真和尚の坐像が日本から帰省してきたことをきっかけに、「大明寺」と元の通りにしたわけである。 |